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鈴川の富士塚 このはなさくやひめ 富士山麓ガイド

 富士山麓ガイド

  富士市の田子の浦港の近くに、富士塚があります。所在地から鈴川の富士塚と呼ばれています。この富士塚の詳しい築造時期は明らかではありませんが、室町時代後期から江戸時代初期までさかのぼるという説があります。

  江戸時代中期以降に関東地方中心に隆盛した富士講によってたくさんの富士塚が築かれました。しかし鈴川の富士塚は性質や形状などが関東のものとは異なり、それ以前の富士山信仰に基づいて築かれたものだと考えられています。


  鈴川の富士塚には、お参りする人のための駐車場があります。東海道線の吉原駅から歩いてもそんなに遠くはありません。
境内に向かうと鳥居があります。そこを頭を下げて入ると神域です。


鈴川の富士塚とりい

   すぐ富士塚が見えてきます。現在の富士塚は昭和51年、鈴川区が古老の記憶に従って復元したものです。玉石をコンクリートで固めてあったので、発掘調査した結果、中に昔の玉石が詰まれたものが出てきたので、間違いなく昔からの富士塚であることが確認できたそうです。その際、上部が切り取られたので以前より低くなったそうです。その分富士山の姿が良く見えるようになったということでした。

鈴川の富士塚

  頂上には「浅間宮」の祠があり、木之花咲耶姫(このはなさくやひめ)が祀られています。

鈴川の富士塚 祠

  地元の人が、この場所からの親子富士がもっとも形が良いと教えてくれた場所から撮りましたが、あいにくの天気で富士山が写真に写りません。露出を補正して何とか親子富士になりました。

鈴川の富士塚 親子富士

  室町時代から江戸時代にかけて、吉原港に上陸した修験道の富士道者が海岸の水辺で水垢離を行い、玉石一つを浅間宮の祠に捧げ登山の安泰を祈った富士山信仰の霊場であった場所ということがわかりました。

   今でも海抜0mから富士山の頂上まで向かう人は、この富士塚に安全を祈願してから登るそうです。

GG    

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